遅ればせながら、アクトスイッチ読みました。
なんだこれ!
おもろ~~~~!!!!
人によって好みが分かれそうですが、
今までのエイプリールフールイベの中で、私は一番好みのお話でした。
すっきり感があまりない。けどそれがいい。それだからいい。
「箱庭」という名を持つ魔道具が生み出すにふさわしい、何層もの入れ子の物語。
0時になるたびに、ひとり、ひとり、と「本当の」自分になって舞台から降りていく、なんともいえない寂寞感と、だけどちょっとホラーテイスト。
そして何より、夢の中だからこそ、
ラストの即興劇から見えてくる魔法使いたちの心の底の切実な願い。
楽しみ方無限大。
余韻があって私の性癖ぶん殴る作品でした。
雪ノ下ナチ先生、本当にありがとうございました!!
大型モニターの落下は何だったのかとか、
アクスイ世界のスマホとは何だったのかとか、
考察もメモしたんですが、まあ、ニーズはないだろうから別にブログにまとめなくてもいっか!
と諦めたんですが、しかし、どうしても問いたいことがありまして。
ラストの劇中劇。
アクスイ世界の役者が『アクト・スイッチ』の中で最高の役を演じる=まほやく世界の「本当の自分」に戻る
ことで舞台から降りていくという構造の場面。
初手のブラッドリーとリケは「流星を待つ」という抽象的な話になってました。
2周年の話のことなのは初見でわかったんですが、
この後続いた魔法使いたちの即興劇から、
これはどうやら各魔法使いの「本当の自分」の嘘偽りない本心だと気づきました。
ということは、です。
ちょっと抽象的で、一番ライトでもあったブラッドリーとリケの会話が、実はそうライトでもない、ということになりません…?
ブラッドリーが2周年で、リケに「弟子」について語って聞かせた時
ネロを自分の後継として育てたけど、
ネロが離れていってしまった今は、
「午睡の夢だ。もう醒めた」
と話し終えていました。
でもアクスイのブラッドリーは流星(恐らくネロのこと)を、
「それでも俺はここで待ち続けるし、手を伸ばすのもやめねぇ」
と言う。
これがブラッドリーの本心なら、
今はもう夢から醒めてはしまったけど、ブラッドリーにとってそれは夢であることは依然かわりない
ということになります。
元相棒推しの私、死にそうになりました。
2部を読んでも、ブラッドリーは自分の与えたものはネロの誇りにならなかったと自嘲していて、ネロを開放してあげようとしているような気がしていたんですが、
でも本当は、待ち続けたかったのかなって…思うと……苦しい…苦しいよ…
いや、でも、問題にしたいのはその後の会話なんです。
ブラッドリーはリケに「待っている間、暇を持て余す」とリケに話し相手になってくれないかと尋ねています。
ここ、なんとなく違和感ありませんか?
ブラッドリーって大人しく待つタイプじゃないですよね。
鳴かぬなら鳴かしてみせるタイプと言いますか…。
ここで気づいたのが、この二人の共通点。
彼らが
檻に囚われた魔法使い
であるということ。
ブラッドリーは囚人で、刑期も恐らくあと数百年単位で残ってます。
一方リケは、教団で格子の部屋で生活していて、未だにいつか教団に戻ると本人は思っている。
21人の中で、魔法舎が解散!となった時、この二人には自由がない。
賢者の魔法使いとして召喚されなかったら、お互いに檻の中にいて絶対に出会うことのなかった二人でもあります。
その二人が奇跡的に魔法舎というところで人生が交錯し、
けれど、法で縛られているブラッドリーと、精神的に教団に縛られているリケ、どちらも、本質的にはまだ自由ではない。
この即興劇自体、実はこの二人は現状檻の中にいて、
奇跡的な偶然で邂逅し、会話をしている。
私はそんな背景が浮かんで、ちょっと鳥肌が立ちました。
即興劇は最後
「僕と話すことで、きっとあなたもやがて清らかな心に目覚めます」
「そりゃ楽しみだ。お前も盗賊になりたくなったら、すぐ言えよ」
と、締めくくられます。
これもまた、
お互いに相容れない場所で生きてきて、魔法舎で二人が出会ったことで、お互いに影響を与え合っているということを示しているのかなと。
思ったんですけど、どうでしょうか?
深読みし過ぎ?
他の方がどう感じた部分だったのかが気になったので、ここだけ感想と考察書いてみました。
もしよろしければ「私はこう思った」というご意見コメントくださると嬉しいです。